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石原信雄の世相診断 Vol.23

2007年問題──「団塊の世代」の社会貢献に期待する

4.54人を記録した合計特殊出生率

今年(2007(平成19)年)は、いわゆる団塊の世代が退職期を迎える「2007年問題」の始まりの年といわれています。

ご承知のように、わが国は1945(昭和20)年に敗戦を迎え、この年を契機に軍隊や海外にいた人たちが一斉に帰国し、その結果たくさんの子どもが誕生しました。一人の女性が生涯にわたって何人の子どもを産むかという統計上の指標である合計特殊出生率は、1947(昭和22)年に過去最高となる4.54人を記録しました。その後もしばらくベビーブームが続き、社会的にいろいろな問題を投げかけたことから、戦後の数年間に生まれた人たちのことを、いわゆる団塊の世代と呼んでいるわけです。

 

わが国の経済的繁栄を支えた団塊の世代

戦前生まれの私は、地方行政を担当する立場からこの世代の人たちをずっと眺めてきました。そこで感じるのは、団塊の世代は受難の世代だったということです。この世代の人たちが生まれたのは、戦後の荒廃の真っただ中。子どもたちがおなかをすかせても、食べ物を十分に確保できないという時期だったのです。

学校に行くようになると、教室が足りないといった問題が全国的に起こりました。戦災によって学校が焼失してしまったところもあったでしょうが、戦後に6・3制という義務教育の3年間延長が行われたことも影響しました。そうした要素に加えて児童数が急激に増えた結果、いわゆる児童・生徒急増問題が起きたのです。

この世代の人たちは、小学校でも中学校でもいわゆる「すし詰め教室」を経験しています。1クラスの児童・生徒数が50人とか55人とか、ひどいときには60人にも上りました。それでも足りない場合は2部授業といって、午前と午後に交替で授業を行うケースも多々あったのです。この世代が義務教育を終えて高校に進学する際にも、義務教育と同様に生徒の収容能力が足りなくなる高校生急増問題が起きました。さらには、この人たちが大学に進学するようになると、大学受験が厳しさを増し、受験戦争という言葉が生まれたわけです。そういう厳しい学生生活を終えて社会に出て行く時期になると、就職難が待ち構えていました。

このように団塊の世代の人たちは、この世に生を受けてから常に競争にさらされ、競争の中で過ごしてきたわけです。

一方、この世代は、わが国の戦後の経済発展を支えた人たちでもあります。高校を卒業し、大学を卒業するころのわが国は、1960年代後半から70年代前半の高度経済成長の時代でもありました。ですからこの方たちは、厳しい環境の中で学校生活を過ごしたと同時に、日本経済の飛躍の原動力にもなり、今日のわが国の経済的繁栄の礎ともなった世代であると私は思っています。

 

優れた知識・技能が抜けた穴をどう埋めるか

さて、この2007(平成19)年から、団塊の世代の人たちが順次、定年年齢に達していきます。企業でも官公庁でも、大きな役割を果たしてきたこの世代が抜けた穴をどう埋めるかという問題がすぐに出てまいります。

この世代の人たちは、たいへんに厳しい環境の中で育ったものですから、競争の中でより努力し、勉強して知識や技術を身に付けた世代でもあります。経済の世界では、そのような優れた技能をもった人たちが卒業してしまった穴をどう埋めるのか、あるいは後継者をどう育てるのか、これまでにもその重要性が指摘されてきましたが、いざ本当に抜けていく時期になると、必ずしもその対応策が万全ではないといわれているのです。

また、団塊の世代の大量退職は、技術の継承問題にとどまりません。彼らを含む2007~11年の5年間の退職者に支払う退職一時金は約50兆円に上るという試算もあり、一斉退職が企業の経営を圧迫することも心配されているのです。

 

健康状態が許す限り社会の発展に協力を

たいへんご苦労なことではありますが、この世代の人たちにはまだまだ元気な人が多いわけですから、私はその知識や能力などをこれからの社会の発展のために生かしてもらいたいと思っています。

具体的には定年を延長できる企業は延長するとか、定年退職後も何らかの形で企業活動や社会活動を続けてもらうことが必要だと思います。日本人の平均寿命は世界でもっとも高くなっています。男性の場合が78歳を超える水準になっており、女性は85歳を超えています。団塊の世代の人たちがここで定年年齢に達しても、まだまだ10年、15年は十分に活躍していただけるはずなのです。

昔であれば、「花鳥風月を友として生涯を送る」という人生の選択もあったでしょう。しかし、わが国が置かれている現状の下では、そういう優雅な老後生活をエンジョイする余裕も少ないのではないでしょうか。もちろんその人その人の状況にもよりますが、その健康状態が許す限り、社会の更なる発展に力を貸していただきたい。そして何より後継者の育成に力を貸していただきたいと思います。

 

公務員の削減と民間活用拡大を進めるよい機会

行政の面で考えますと、財政再建の一環として国家公務員、地方公務員ともに定員の削減、総人件費の抑制が至上命題になっております。そういう状況の下では、団塊世代の公務員が卒業していくことは一つのチャンスでもあるわけです。

私は行政の分野では、思い切った行政事務の簡素化・人員削減を行える合理化のチャンスではないかと考えます。そして、この機会に民間企業の力を活用するいわゆる「PFI(プライベート・ファイナンス・イニシアティブ)」や「公共サービス改革法」によって、行政サービスの維持・確保を推進する機会にしたらよいと思います。

まだまだ元気な人には、ボランティア活動にも大いに参画していただきたいものです。団塊の世代の人たちは、生まれたときから競争の中でご苦労の連続なのですが、この後には急速な少子化時代がやってきます。その少子化の影響に伴う活力の低下や行政サービスの低下を、ボランティア活動によってカバーするといった役割を団塊の世代の人たちには期待したいと思います。また何より、そうした社会貢献活動は、一人一人の生きがいや健康の維持にもつながることでしょう。

長い間ご苦労された後に、更なる社会貢献をお願いするのは心苦しい限りですが、わが国が置かれている様々な状況をご理解いただき、いま一段のご活躍を期待します。

2007(平成19)年1月掲載

石原信雄の写真 石原 信雄

1926年生まれ。
52年、東京大学法学部卒業後、地方自治庁(現総務省)入庁。82年財政局長、84年事務次官、87年(~95年)内閣官房副長官(竹下、宇野、海部、宮澤、細川、羽田、村山の各内閣)を務める。
現在、公益社団法人日本広報協会会長、一般財団法人地方自治研究機構会長。

 

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