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広報研究ノート 広報技術

月刊「広報」1999年8月号初出

表現と人権 複雑化する社会に応じた的確な判断能力が要求される

グラフィック・デザイナー 長岡 光弘

人権に関する配慮が必要な表現を、行政の広報紙で多く目にするようになってきた。それは、知的障害者や身体障害者、老人介護に関する表現などにである。どの紙面も、伝えたい情報内容を視覚的に分かりやすく訴求を図るために、写真を用いている場合が多い。しかし、写真を見ながら、あまりにも視覚的に強い写真であるため、撮影を行う上で様々な配慮を行っているのかを疑問に思う表現に、しばしば出合うことがある。それは、被写体となる人や家族とシチュエーションに関しての事前打ち合わせや、掲載する写真に関しての細やかな許諾が行われているかである。また、製作者として訴求する表現に対して、人を登場させるべきか・人を登場させないで表現できないかなど、見せ方の表現案を思案しているかなどである。

行政として様々な活動を広報紙を通して地域住民に知らせることは重要だが、こと人権にかかわる表現はナーバスな問題が潜んでいるだけに、相手の身になって十分に配慮し、様々な角度からの表現を試みたいものである。

 

表現にかかわる人権問題とは

表現にかかわる人権とは、コミュニケーション活動において、主に「差別と写る表現」や「人が不快になる表現」に集約される場合が多い。差別や不快になる表現は、大きな苦痛や深い悲しみを与え、人間としての尊厳を傷つけることになる。

新聞・雑誌・テレビなどのマスメディアでよく取り上げられる人権問題に、次の項目を目にする。それは、女性差別の問題、部落差別の問題、障害者問題、人種・外国人差別の問題などである。また最近では、プライバシーの侵害や公害環境問題と人権のかかわり、エイズ・臓器移植に関する人権問題など、時代とともに新しく発生してきている。一方、科学的な根拠がない偏見や、本人の努力によってもいかんともしがたい特性によって評価されることも、人権問題といえる。

人権問題は、様々な形で社会に存在している。広報紙を表現するに当たり、行政として「気づかずに」「ついうっかりと」「知らなかった」ではすまされない。

 

人権に関する知識を深めることが必要

人権にかかわる表現で難しい点は、大きく集約すると二点考えられる。第一点は、表現の自由が製作者に認められている点にある。製作者に表現の自由が認められているぶん、製作者は時代時代に応じて変化する人権に関する知識を自ら問われるのである。第二点は、人それぞれに人権に関しての表現に、感じ方が違うことである。製作者が人権に関する様々な知識を有し、様々な配慮を行った表現内容でも、住民個々の視点により、人権を侵害していると写る場合がある。それだけに人権に対する表現の考え方は、三者三様であり複雑なのである。

人権に対する様々な問題は、複雑化する社会とともに、年々増えこそすれ減ることはない。そのために製作者は、絶えず人権に関する知識を深めることが求められる。知識を深めることは、伝えたい情報内容を中途半端な表現に成らずに、的確に伝わる表現力を身につけることにもなる。さらに、なぜこの表現になるのかを的確に判断する能力と、この表現案が良いのか、悪いのかをジャッジする能力が蓄積されるのである。

コミュニケーション活動を行う製作者として、過去に起こった出来事を含め、人権に関する知識を深めることが、常識なのである。

 

製作者としてエチケットを身につける

広報紙面で良く見受けられる障害者という文字に、抵抗を感じると言う声を耳にする。それは、障害という字の意味が本来「差し障りのあるもの」の意味から「世の中にとって差し障りのある人間」と解釈したり、「害」と言う字は、「人に良くないもの」と考えたりするからだと言われる。しかし、言葉だけの理屈だけではなく、今までの生活の中で使用されているいろいろな状況から、差別感を感じとっていると言える。

それらを踏まえて表現を行うには、社会人としてのエチケットを表現の基本として考えることができる。ご存じだと思うが、人権というのは英語のヒューマンライツの訳で、直訳すると「人として正しい」と言う意味に解釈できる。「人として正しい」と言うことは、社会生活において必要な人権を尊重し、エチケットを守るということに置き換えることができるからである。製作者として日々日常に目を配り、いろいろな人と接することにより、物事の見方や考え方を感じとり、エチケットを身につけることが大切である。

 

配慮する表現のポイント

広報紙メディアの欠点の一つに、情報発信が一方的になることがある。そのために、製作者として文章表現やビジュアル表現を行う上で、住民に誤解を招かないよう次の点を、表現の基本姿勢として考えてみたい。

  1. 個人や集団が、理由なく分け隔てられ不利益を被るおそれのある表現。
  2. 個人や集団に対して、本人の努力でいかんともしがたい特性について、著しく評価・尊厳を傷つけると映る表現。
  3. 現在、差別的な状況にある個人や集団に対して、その差別を温存・助長することにつながる表現。
  4. 表現される人の肖像権を尊重する。

だが、差別解消のためには、時と場合により、いかなる表現でも差別を行う場合があることを表現の基本姿勢として加えるべきだろう。また、製作者は表現活動を行う上で、表現者としての責任を自覚しなければならない。

つまり、表現の選択は自己の責任であること、その責任は所属する行政の責任にもなることを自覚することである。

また、製作者として次の点も頭に入れ、表現案を考えたい。

  1. 時代はいつも変化し、人権に関する表現は、今は良くても今後は変わることがある。
  2. 的確な表現を行うために、絶えず表現の問題意識を持つ。
  3. 表現案を自分一人で判断するのではなく、第三者の意見・チェックを取り入れる。
  4. 相手の身になった視点で、企画や表現を考える。
  5. 表現は自由である。しかし……を考える。
  6. 広報紙はメディアであり、メディアは公共のものである。

社会生活が複雑化するほど、行政としての広報活動は年々広がりを見せている。最近では広報紙の製作に、コンピュータを用いている製作者も増加している。コンピュータによってデジタル化された情報データは、ホームページの制作をはじめいろいろな分野で活用できるだけに、広報担当者は、表現と人権に対する知識を日々深めることがますますもって重要なのである。

 

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