
連載コラム
広報って何? 悩める広報担当者の右往左往
公開日 : 2025年4月30日
第4回 まちづくりへの貢献
花を植える広報担当者
全国に広報仲間が増えてくると、送られてくる広報紙を開くのが楽しみになりました。
ある時のことです。めくっていたページの中に気になる記事を見つけました。それは町の青年たちが道路沿いに花を植えたという記事でした。気になったのは、花を植えたメンバーの中にその広報仲間がいたからです。
さっそく電話して「若者たちが花を植えた記事、おもしろかったけど、あれって自分で植えて自分で記事にしたでしょ?」と、ちょっとからかうような言い方をする私に、彼は当然のように、そしていつものように明るく「そうだよ」と答えました。
「広報はまちづくりのためにやっているから」
彼にとってはまちづくりの現場こそが大事で、広報はそれをサポートする手段だというのです。
「そうか…。たしかにそうだよね。役場や市役所の仕事は全部、まちをよくするために、あるんだよね」
そんな基本的なことも分かってなかったのか、と恥ずかしくなりました。当時の私はいい広報紙をつくることばかり考えていました。彼のようにシンプルに「まちをよくするのが第一。広報を使ってそこにどう貢献するかがミッション」という考えは持っていませんでした。
原点は“まちへの愛情”
そういえば、全国の広報仲間たちが初めて鹿児島経由で長崎にやってきた時(第3回参照)以来、仲間たちと話をしながら感じていたことがあります。それは一言でいえば、とてもしっかりとした“まちへの愛情”でした。
仲間たちはいろんな話をしてくれますが、ワイワイとにぎやかに冗談で盛り上がることがほとんどです。私はそういう話が大好きで、特にお酒を飲みながら毒にも薬にもならない話をする時間は人生の無上の喜びの一つだと思っているのですが、そういう会話の達人たちが、まちのことになると真剣な顔になり、思いを込めて話し始めます。その言葉の裏にはいつも、まちやそこに住む人たちへのゆるぎない愛情がありました。
もちろん、周囲の職員の広報への理解が足りないなどの不満や愚痴もよく出ました。そういう不満や愚痴も「まちをもっと良くしたい」という思いが強いからこそ出てくるのだということが、話しているとよく分かるのです。
「そうか…そういうことか…」
素晴らしい広報をやっている人たちに共通する“根っこ”に、ようやく出会ったような気がしました。彼らの広報紙が素晴らしいのは、そして広報紙にあたたかさや人間味があるのは、まちへの愛情と、まちを少しでも良くしたいという強い思いが根っこにどっしりとあるからなのです。
月刊誌「広報」8月号に、全国広報コンクールで特選に選ばれた団体の担当者インタビューが掲載されています。読んでいると、あのころ仲間たちに感じたようなまちや住民への愛情を感じます。素晴らしい広報担当者が持つあたたかさや謙虚さも当時と変わっていません。時代が変わっても変わらない真実がそこにあるのだと思います。
景観アンケート
この出来事をきっかけに、広報の仕事に臨むときの発想が変わり始めました。
たとえば当時、広報紙上で景観アンケートを実施したことがあります。
ちょうどそのころ、長崎市では都市景観づくりに取り組み始めていました。まだ全国的にも景観行政は草創期だったので、市民が景観をどう考えているか、全市民にアンケートを取ってみようということになりました。広報紙の紙面そのものをアンケート用紙にして、切り取って返送してもらうという手法です。初めての挑戦でした。
その結果、3千通以上の返送がありました。アンケート結果についても広報紙で特集し、市民に結果をお知らせしました。広報紙を使った市民とのキャッチボールでした。
これは、単に“おもしろいアイデア”として取り組んだのではなく、明確に「まちづくりにどう貢献するか」を考えて取り組んだという意味で、とても記憶に残っています。
この「まちづくりへの貢献」という考え方は、その後のわがまちの広報におもしろい展開をもたらしました。その話は次号で。
執筆者紹介
田上 富久(たうえ とみひさ)
1956年長崎県岐宿町(現・五島市)生まれ。80年長崎市役所入庁。26年7か月の職員時代のうち13年6か月が広報担当。2007年4月長崎市長就任。23年4月まで4期16年務め、その間、長崎県市長会会長、九州市長会会長のほか、被爆都市の市長として、日本非核宣言自治体協議会会長、平和首長会議副会長などを務める。好きな言葉は「一隅を照らす」「人間万事塞翁が馬」。現在は、長崎地域力研究所代表などを務める。