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連載コラム

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広報って何? 悩める広報担当者の右往左往

執筆 : 田上富久(前長崎市長)

公開日 : 2025年8月6日

職員時代に13年6か月にわたって広報を担当。その後16年に及ぶ市長在任中も広報の大切さを実感してきた前長崎市長・田上富久さんによるエッセイです。

第18回 委託の落とし穴

委託が下手になる理由

委託については、もう一つお話ししておかなければならないことがあります。それは、委託をすればするほど委託が下手になる、ということです。
「???」
という顔が見えるような気がしますが、これは言い間違いでも、言葉遊びでもありません。事実なのです。
私の初めての委託はとてもうまくいきました。その要因は、率直に言って、委託側と受託側のスタッフにいろいろな意味で“力”があったからだと思います。特に市側のスタッフはこれまで自主編集を経験してきた人たちなので、編集について経験知があり、受託先のスタッフと専門用語をはじめとする“共通言語”を持っていました。共通言語を交えたコミュニケーションを取りながら、指示すべきところは指示をし、学ぶところは謙虚に学ぶという姿勢がありました。また、経験があるからこそプロの発想や技に対してリスペクトする気持ちを常に持っていました。
でも、委託を何年も続けると、そのうちに市側のスタッフは異動で交替することになります。もし全く経験がない職員が担当になったとき、プロの編集者たちとうまくコミュニケーションがとれるでしょうか。仕事の“根っこ”や“幹”についてしっかり理解している(あるいは理解しようとする)職員で、謙虚さを持っている担当者なら大丈夫です。でも、もしそうでなかったら…。おまけに業者扱いしたり“上から目線”で臨んだりするような職員だったら、きっと時間とともに質が落ちていくのは間違いありません。
つまり、最初は手作りの時代を経験している人たちがやるからうまく委託できても、何年も続けているうちに人が替わり経験知が減ると、共通言語が少なくなり、受託した側もモチベーションが下がって、だんだんと委託の質が落ちてしまうのではないか。それはこれまでの経験から間違いないことのように私には思えました。
これが、委託をすればするほど委託が下手になる、の意味です。

 

広報紙は手作りで

最初に委託した冊子『NAGASAKIさるく』は、年2回発行でした。生まれたばかりのこの冊子は、これから何年にもわたって発行し続けることになるはずです。
「どうすれば、質を落とさずに委託し続けられるだろう?」
考え続けているうちに、答えは意外に近くにあることに気づきました。
「そうか!『広報ながさき』は広報係全員がページを分けて受け持つから、そこで手作りを全員が経験すればいいんだ。そうすれば、だれが委託を担当することになっても委託したスタッフとコミュニケーションが取れて、質を落とさずにすむ!」
こうして広報紙づくりは、新人が編集を経験しながら委託上手になるための場にもなりました。一緒に編集しながら“根っこ”や“幹”の話もできるので、広報紙の編集は当時、一石二鳥どころか、一石四鳥くらいの場になっていたと思います(今は一部、委託しています)。
今は、当時に比べて、自治体が外部と一緒に仕事をすることが格段に多くなりました。市長になった後、指定管理のモニタリングをどうすればきちんとできるのかという議論をしたことがあります。これも根っこは同じです。
どの職場でも広報紙を全員でつくるような方法ができるわけではありません。また、広報紙を全員でつくるのが唯一の解決法でもありません。ただ、どうすれば委託先と受託先とその仕事の対象(広報課の場合は読者となる市民)がウィン・ウィンの関係になれるか、をしっかり考え、工夫し続けるのは重要かつ必要なことです。「プロの仕事を素人が評価する」ことになって、プロがやる気をなくしたり、レベルを落としたりして、結局は市民に迷惑をかけるようなことがないようにするためです。
たった一つの仕事の話ですが、自治体の本質と未来を考えるヒントがたっぷり含まれている大事なテーマだと、私は思います。
初めての委託の話は、このあたりでひと区切りということにしましょう。次回は、私の仲間たちをご紹介します。

 

執筆者紹介
田上 富久(たうえ とみひさ)

1956年長崎県岐宿町(現・五島市)生まれ。80年長崎市役所入庁。26年7か月の職員時代のうち13年6か月が広報担当。2007年4月長崎市長就任。23年4月まで4期16年務め、その間、長崎県市長会会長、九州市長会会長のほか、被爆都市の市長として、日本非核宣言自治体協議会会長、平和首長会議副会長などを務める。好きな言葉は「一隅を照らす」「人間万事塞翁が馬」。現在は、長崎地域力研究所代表などを務める。

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