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連載コラム

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広報って何? 悩める広報担当者の右往左往

執筆 : 田上富久(前長崎市長)

公開日 : 2025年10月1日

職員時代に13年6か月にわたって広報を担当。その後16年に及ぶ市長在任中も広報の大切さを実感してきた前長崎市長・田上富久さんによるエッセイです。

第26回 コミュニケーションの変質

激しく変化する時代

市長になった後、私は広報担当の仕事にあまり口を出しませんでした。それは自分がtな当社だった時に、市長からの支持はもちろん、直属の上司からも細かい指示を受けることがほとんどなかったからです。自分たちで工夫しながらできるだけ伸び伸びと、広報というやりがいのある仕事に取り組んでほしいと思っていました。

口を出さなかった理由は、もう一つあります。時代の動きがとても速く、特にインターネットの役割が大きくなるにつれて、市民とのコミュニケーションのあり方そのものが変化していたことです。「広報はコミュニケーション!」なのですから、コミュニケーションが変質すれば、広報の手法が変わるのは当然のことです。

その変化はスピードが速く、振れ幅も大きく、しかも長期にわたって継続するであろうことは明らかでした。次々の起きる変化へのきめ細かい対応は、現場にいなかればできません。広報は現場にいる後輩たちにまかせよう。それが、市長に就任したての頃の私の基本方針でした。

 

グラデーションから層の時代へ

今は、原体験が大きく違う世代が同じ社会に生きている時代です。それは例えて言えば、下の図のようなものではないでしょうか。上の世代は同じ色のグラデーション。原体験が比較的似ているので、経験知が高い上の世代が下の世代を導くことが多かった世代です(①)。 一方、下の世代は原体験が違います。原体験というのはデジタル環境だけでなく、少子化や経済の状況、環境意識の高まりなど、さまざまな状況の中で積み重ねた経験のことです。変化が速いので、若い世代とはいっても、違う模様の層が何層にも重なっている状態です(②)。

こういう時代には、それぞれが得意な分野について教え合い、学び合うことが大切になります(③)。

 年齢に関係なく「教えて」と言えるリーダーが上の世代にいるとうまく学び合えますが、相変わらず「オレの言うことは絶対だ」というリーダーのところからは、若い世代が離れていきます。

これは地域コミュニティで現実に起きている現象です。リーダーシップや組織風土によって、若い人たちが大勢参加して元気になる地域と、若い人たちが参加したがらない地域が両極化してきているのです。こういう変化が、地域や企業など社会のあちこちで起き続けているのが今という時代なのだと思います。

 

まだ変化の真っ最中

コミュニケーションの変質は、私が市長を務めた16年の間にもどんどん進みました。 最近は、LINEをはじめ、いろいろなアプリを使ってメンバー同士のコミュニケーションを取る地域が増えてきました。SNSを使いこなせる高齢者が増えてきているのです。高齢者の拒否反応が強かった10年前とは大違いです。AIの進化とも相まって、あと5年、10年すると状況はまた大きく変わるでしょう。今はまだ、大きな変化の真っ最中。変化にきめ細かく寄り添いながら、コミュニケーションのあり方を変えていく時期なのだと思います。

さてさて、そういう変化対応の中で、後輩たちに任せるという基本方針だった広報のあり方について、ついに市長として口を出さなければならない状況が生じました。やむを得ず方針変更です。それについては、次号でお話ししたいと思います。

 

 

執筆者紹介
田上 富久(たうえ とみひさ)

1956年長崎県岐宿町(現・五島市)生まれ。80年長崎市役所入庁。26年7か月の職員時代のうち13年6か月が広報担当。2007年4月長崎市長就任。23年4月まで4期16年務め、その間、長崎県市長会会長、九州市長会会長のほか、被爆都市の市長として、日本非核宣言自治体協議会会長、平和首長会議副会長などを務める。好きな言葉は「一隅を照らす」「人間万事塞翁が馬」。現在は、長崎地域力研究所代表などを務める。

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