連載コラム
広報って何? 悩める広報担当者の右往左往
執筆 : 田上富久(前長崎市長)
公開日 : 2025年12月25日
職員時代に13年6か月にわたって広報を担当。その後16年に及ぶ市長在任中も広報の大切さを実感してきた前長崎市長・田上富久さんによるエッセイです。
第29回 自分がメディア
市長にしかできないこと
「市長にしかできないことって何だろう?」
統計課長時代のある日、ふと考えたことがありました。「市長になったつもりで考えないと本物の政策づくりはできない」というある自治体の友人の言葉に刺激されて、いろんな政策や事業のアイデアをメモし始めた頃のことです。
もちろんまだ自分が市長になろうとは考えていなかったので、実感のない推測に過ぎませんが、その時にたどり着いた答えは次の三つでした。
① “ ビジョン” を示すこと
② “ 体制” をつくること
③ トップにしかできない“ コミュニケーション” をとること
三つ目にコミュニケーションを挙げたのは、市役所の広報とは違う、市長にしかできないコミュニケーションがあると感じていたからです。
ちゃんぽんミーティング
その後、市長になった私は二つのコミュニケーション活動を始めました。
一つは「ちゃんぽんミーティング」。
月に1回、15人ほどの市民とちゃんぽんを食べながら、その月のテーマについて話をします。テーマに関心があったり、実際に活動したりしている市民が集まるので、やり取りはとても具体的で、まちづくりのヒントがいっぱいでした。終わった後に、参加者同士が名刺交換したり、フリートークしたりするのも、いい出会いの場になっていて、これこそが最大の成果だといつも思っていました。
ちゃんぽんは、市役所食堂からの出前。最初は普通サイズの丼でしたが、ちゃんぽんを食べるのに時間がかかると言うと、食堂の社長さんはすぐに少し小さめの丼を用意してくれました。
実は「ちゃんぽんミーティング」という名前は、当時横浜市長だった中田宏さんがやっていた「カレーランチミーティング」のパクリです。やり方は違うかもしれませんが、名前はどうみてもそっくりです(笑)。職員時代のメモに書いてあったアイデアの一つでした。
ホッとトーク
もう一つは、広報紙に市長のコーナーをつくったことです。「市長のホッとトーク」と名付けたこのコーナーは、結局1期目の途中から退任の月まで13年間ほど続くことになりました。
ほとんど毎月、夜中の作業で、締め切りギリギリに間に合わせる自転車操業。スタートした頃は市の事業の話題が多かったのですが、だんだんその時々に私自身が感じたことや、ふだん考えていることを書くことが多くなりました。多くの人に話す機会がない話題こそ、月に一度のコーナーで伝える意味があるような気がしたからです。
でも、いつも満足する原稿が書けるわけではありませんでした。親しい自治会長さんは率直に「今月のはおもしろくなかったよ」と言ってくれました。そういう時は、自分でもなんとなく不完全燃焼のまま原稿を出しているのでした。逆に、いい感じで書けた時は「妻が『おもしろいから読んでみて』と渡してくれた」と言ってくれました。やっぱりバレてしまうんですね。 毎月毎月書くのは楽な作業ではありませんでしたが、自分の言葉で大勢の市民にメッセージを伝えるのは、やりがいがあって楽しい作業でした。
すべてがメッセージ
「ちゃんぽんミーティング」は話し言葉、「ホッとトーク」は書き言葉ですが、どちらもメッセージを自分の言葉で直接伝えることのできる場という意味では同じです。
私の場合、職員時代からまちづくり活動をしてきたので、ちゃんぽんミーティングの参加者は「市民」というより「仲間」。伝えたい思いは、「皆さん、いつも頑張ってくれてありがとう。私はしばらくここで頑張ります。一緒にまちを良くしましょう!」でした。その思いはきっと「ホッとトーク」にも表れていたと思います。
市長を退任して3年目になりますが、市民の皆さんとお話しする機会は今もあります。その中で感じるのは、市民の皆さんが当時の私から読み取っていたのは、言葉よりもそういう思いや姿勢だったということです。それはきっと隠しようもなくにじみ出るものなのでしょう。市長は自分自身がメディアなんですね。
執筆者紹介
田上 富久(たうえ とみひさ)
1956年長崎県岐宿町(現・五島市)生まれ。80年長崎市役所入庁。26年7か月の職員時代のうち13年6か月が広報担当。2007年4月長崎市長就任。23年4月まで4期16年務め、その間、長崎県市長会会長、九州市長会会長のほか、被爆都市の市長として、日本非核宣言自治体協議会会長、平和首長会議副会長などを務める。好きな言葉は「一隅を照らす」「人間万事塞翁が馬」。現在は、長崎地域力研究所代表などを務める。