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連載コラム

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広報って何? 悩める広報担当者の右往左往

執筆 : 田上富久(前長崎市長)

公開日 : 2026年2月9日

職員時代に13年6か月にわたって広報を担当。その後16年に及ぶ市長在任中も広報の大切さを実感してきた前長崎市長・田上富久さんによるエッセイです。

第30回 インナーコミュニケーション

庁内報がない不思議

コミュニケーションといえば、職員時代にずっと気になっていたコミュニケーションがありました。それは組織内部のコミュニケーションです。

若い頃、市内の社内報編集者と時々集まっては飲み会を開いていました。なかなか聞けない企業の内幕や同業者ならではの苦労話などで盛り上がる楽しい会でした。でも、そこに集まる仲間の会社よりも職員数が多いはずの長崎市役所には、庁内報がありませんでした。

「こんなに大きな組織なのに、なぜないんだろう?」

役所といえば「タテ割り」の弊害がよく指摘されますが、その対策としても有効なのに、庁内報がないのがとても不思議でした。というより「おかしい」と思っていました。

実は30代から40代の頃に2度、仲間たちと庁内報を作ったことがあります。1度目は仕事の一環として、2度目は自主研究グループ活動として。どちらも数回発行しただけで、正式な形での定期発行までは至らず、実験的な取り組みで終わりました。内容はけっこうおもしろかったと思うのですが。

 

 

市っぽく手弁当会議

その後、市長になって始めたことの一つは、職員とのランチミーティングです。先月お話しした市民対象のミーティングは名前に「ちゃんぽん」を使ったので、こちらは担当職員が「市っぽく手弁当会議」と名付けてくれました。長崎名物しっぽく料理にちなんだネーミングですが、手弁当会議なので手作りのお弁当の人もいればコンビニから買ってくる人もいて、バラバラです。それがまたおもしろくて、その話題から会話が始まることもよくありました。

申し込み制で開催は不定期でしたが、スポーツチームもいれば、一つの職場の若手グループもいて、いろいろなバリエーションがありました。上司が「市長と話してみれば」と背中を押して送り出すケースもありました。私にとっては、ふだんなかなか話せない職員と話せる楽しい時間なのですが、昼休みを使っていたので、毎回あっという間に終わってしまいます。もっともっと話したかったなと、今も思います。

 

 

たうえノート

もう一つは、庁内PCの掲示板に週1ペースで出した「たうえノート」です。

職員時代にいろいろな経験をしながら学んだことや、社会や仕事についての基本的な考え方などを、毎週A4判1ページで伝えました。

「たうえノート」を書いたのは、任期の最後の1年ほどです。それについては、実は苦い思い出があります。市長になって間もない頃に、職員向けのメッセージを何度か出したことがあります。自分が考えていたことを全職員向けに伝えてみたのですが、まったく反応がなく、自分自身に余裕がなかったこともあって、数回でやめてしまいました。

ずっと後になって「もっと続けてほしかった」「今、あんなのが欲しい」という声を聴くようになり、私自身ももっとみんなに伝えたいという思いが強くなっていたので、4期目に「たうえノート」を始めました。結果的にそれは任期の最後の1年となり、35話目が最後のメッセージになりました。

「たうえノート」を発信してみて、頻度はともかく、1期目の時からずっと続けていたらよかったと思いました。今考えても、自分自身が庁内のコミュニケーションを図るためにできることがもっとあったような気がします。

 

 

明るいコミュニケーションを

私が市役所に入ったのは1980年。もう45年も前のことです。その頃の市役所と今の市役所ではさまざまな面で違いますが、組織である限り内部のコミュニケーションの大切さは変わりません。

市長時代に若い職員が発信する庁内向けの情報を見ていると、とてもセンスがいいなと思います。メディアが紙の庁内報である必要はありません。持ち前のセンスを生かして、新しいメディアや手法も上手に使って、組織の風通しをよくする明るいコミュニケーションをとる組織になってほしいと思います。

 

 

執筆者紹介
田上 富久(たうえ とみひさ)

1956年長崎県岐宿町(現・五島市)生まれ。80年長崎市役所入庁。26年7か月の職員時代のうち13年6か月が広報担当。2007年4月長崎市長就任。23年4月まで4期16年務め、その間、長崎県市長会会長、九州市長会会長のほか、被爆都市の市長として、日本非核宣言自治体協議会会長、平和首長会議副会長などを務める。好きな言葉は「一隅を照らす」「人間万事塞翁が馬」。現在は、長崎地域力研究所代表などを務める。

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