このページの本文へ移動
連載コラム

連載コラム

広報って何? 悩める広報担当者の右往左往

公開日 : 2025年5月7日

第5回 若気の至り

政策広報にチャレンジ

 まちづくりを意識し始めると、単純な私は先進都市でやっているような「政策広報」をやってみたいと思うようになりました。市の主要政策を推進するのに、広報課もがっちり入り込んで、市民とコミュニケーションを取りながら担当部局と一緒にプロジェクトを実現していくイメージです。
 その一つとして、大型公園づくりの計画を、まだ構想の段階のものも含めて広報紙で公表することにしました。公園づくり担当の課には、市役所で一番といっていいほど積極的な課長がいたので、このアイデアにも積極的に取り組んでくれて、シンプルだけど意味のある特集を組むことができました。
 この特集や、先月号でお話した景観アンケートは、たまたま担当課が積極的だったことでなんとか形にすることができましたが、それが単なる幸運の結果に過ぎないことを教えてくれる出来事が、その後に待っていました。

 

 

市政を揺るがす「洋館問題」

 ちょうどそのころ、市が所有している洋風建築物、いわゆる「洋館」を取り壊して新しい建物を建てようという計画が持ち上がっていました。それに対して反対する市民の声が少しずつ大きくなって、マスコミで取り上げられるほどになりました。
 市民による反対署名活動も始まり、日に日にマスコミの取り上げ方は大きくなります。ところが、広報課はその問題から完全に“蚊帳の外”でした。新聞やテレビで市民や市の動きを知るような状態だったのです。
 「こんな問題こそ広報で取り上げるべきじゃないか…」
 そう思った私は、課長にそのままの思いを話しました。
 課長は、細かいことを指示するタイプではなく、親分肌で、気持ちで仕事をするタイプ。私の話を聞くと、「ちゃんと対応できるのか?」と問いかけてきました。「やります」と答えると、「分かった!」と言って担当の建築部長に掛け合ってくれました。
 ところが、問題はそれほど単純ではありませんでした。
 担当部局は建築部だけでなく複数にわたり、それぞれに背景があり、市の考え方の全体像がなかなかつかめません。情報を集めて市民や専門家に取材を始めてみると、こちらも思った以上に多様な意見があり、それをどう整理して伝えればいいのかも簡単ではありません。
 何よりも市民運動の動きが早く、1カ月に一度の広報紙ではとても動きを追えません。この速さだと、広報紙に載せても市民に届くころには状況が変わってしまいます。まだSNSがない時代で自前のメディアがなく、NHKが討論番組を組んで放送してくれるのを、悔しさと感謝の入り混じった複雑な気持ちで見るしかありませんでした。
 結局、この問題は紆余曲折を経て、市が方針を転換することで決着しました。洋館を残し、重要文化財への登録を目指すことになったのです。広報担当としては、すべてが決着した後に、広報紙上で経過や市の考え方を報告して一件落着ということになりました。

 

 

失敗の本質

 でも、騒ぎが収まった後も、私の頭の中の混乱はまだ収束していませんでした。
 実は、事態がどんどん進行する中、私は広報としてどう臨めばいいのか分からず、ずっと頭を抱えていました。課長には「対応できます」と言ったものの、どんなスタンスで記事を書くのか、きちんとした考えを私自身が持っていないことも思い知りました。
 それに、市政の中に広報がしっかり組み入れられていないことも実感しました。マスコミ対応はそれなりにしていましたが、本格的な政策広報をするだけの基盤はありませんでした。
 途中で相談した広報仲間からも、思いだけで突っ走るのはよくないから注意したほうがいい、とアドバイスしてもらったのに……。薄っぺらな功名心の暴走でした。そこにはまだまだ広報の根っこどころか、花と実ばかりを追いかけていた自分がいました。

 

 

執筆者紹介
田上 富久(たうえ とみひさ)

1956年長崎県岐宿町(現・五島市)生まれ。80年長崎市役所入庁。26年7か月の職員時代のうち13年6か月が広報担当。2007年4月長崎市長就任。23年4月まで4期16年務め、その間、長崎県市長会会長、九州市長会会長のほか、被爆都市の市長として、日本非核宣言自治体協議会会長、平和首長会議副会長などを務める。好きな言葉は「一隅を照らす」「人間万事塞翁が馬」。現在は、長崎地域力研究所代表などを務める。

戻る

このページトップへ