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連載コラム

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広報って何? 悩める広報担当者の右往左往

執筆 : 田上富久(前長崎市長)

公開日 : 2025年6月18日

職員時代に13年6か月にわたって広報を担当。その後16年に及ぶ市長在任中も広報の大切さを実感してきた前長崎市長・田上富久さんによるエッセイです。

第11回 DTP

二度目の広報担当

そうこうするうちに広報担当が8年半にもなり、私は初めての異動を経験することになりました。「広報って何?」を探し続けた長い旅も、ここでいったん“強制終了”です。23歳から32歳まで広報担当として過ごした8年半は、私にとっては最高に滋味豊かな時間でした。たくさんの出会いを経験する中で教えてもらったことは、心の引き出しにしっかり入っていて、異動した先でもとても役に立ってくれました。
そして……8年間に3つの課を経験した私は、40歳のときに係長として再び広報担当の辞令をもらうことになりました。
久しぶりの広報課で一番大きな変化は、DTPが導入されていたことです。目の前が真っ暗になった、思い出深いあのレイアウト用紙はもうありませんでした(「第2回」参照)。パソコンで編集作業をするのは初めての経験でしたが、やってみると自分のイメージどおりに出来上がるので、以前とは違うおもしろさを感じました。
ただ、そのころの広報紙が前よりもよくなっているかというと、そうは思えませんでした。むしろ単調で少し無機質になっているような気がしました。目指していた「会話する広報紙」から少し遠ざかっているような感じです。
「どうしてだろう? DTPになったことと関係あるのかな?」
DTPはいくつかのパターンを覚えれば、コピペして文章を変えるだけでそれなりの紙面ができます。この“便利さ”“手軽さ”が災いしているような気がしました。もちろん当時のメンバーが手抜きをしていたわけではありません。DTPの特性をまだよく分かっていない時期だったのです。
そのころ広報係の中で議論している時に「DTPをやめて手づくりに戻したほうがいいんじゃないか」と発言したことがあります。メンバーたちは「何を言い出すんだ」と目を白黒していました。もちろん本気ではありません。「何かが違う」という気持ちが焦りに変わっていました。初めて「係長」という役割を与えられた気負いもあったかもしれません。まだまだ若くて甘くて経験も足りず、気持ちに余裕がありませんでした。
しばらくは改善を重ねながら自問自答する日々が続きました。

 

花と根っこ

このころ感じていた「何かが違う」という感覚は、ひょっとすると今の生成AIへの反応に近いのかもしれません。
キカイの力を借りて「作る」ことはできるのだけれど、その奥にある「考える」というプロセスがなくなると、できるものがパターン化してしまううえに、気づかないうちに“考える力”が弱くなって、その影響がいろいろな場面に出てしまう可能性がある。そんな感じです。
もちろんDTPと生成AIは違います。DTPは答えを出してくれるわけではないし、つくる作業を手伝ってくれる道具でしかありません。それでも、使い方によっては考える力を弱くしてしまう……それが起きているのではないか……それが当時の私の違和感の正体でした。
私はDTPにも生成AIにも反対ではありません。むしろ積極的に活用すべきだと思っています。でも、ただ便利に使うのではなく、その特徴をよく知って賢い使い方をすることが大事だと思います。そして、使い方によっては、自分自身を弱くしてしまうリスクがあるということを知っておくことが大事だと思います。
私の好きな相田みつをさんの作品にこんな詩があります。

 

 花を支える枝
 枝を支える幹
 幹を支える根
 根はみえねんだなぁ

 

花を咲かせることばかり考えていると、「技術」という枝、「考える」という幹、「思う」という根が弱くなってしまう。逆に、根や幹がしっかりしていれば、きれいな花が咲くだけでなく、雨や風にも強くなる。そんなことを教えてくれる言葉です。
私が全国の広報仲間たちから教えてもらった「まちや人への思い」は、間違いなく“根っこ”なのだと思います。

 

 

執筆者紹介
田上 富久(たうえ とみひさ)

1956年長崎県岐宿町(現・五島市)生まれ。80年長崎市役所入庁。26年7か月の職員時代のうち13年6か月が広報担当。2007年4月長崎市長就任。23年4月まで4期16年務め、その間、長崎県市長会会長、九州市長会会長のほか、被爆都市の市長として、日本非核宣言自治体協議会会長、平和首長会議副会長などを務める。好きな言葉は「一隅を照らす」「人間万事塞翁が馬」。現在は、長崎地域力研究所代表などを務める。

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