
連載コラム
広報って何? 悩める広報担当者の右往左往
執筆 : 田上富久(前長崎市長)
公開日 : 2025年6月25日
職員時代に13年6か月にわたって広報を担当。その後16年に及ぶ市長在任中も広報の大切さを実感してきた前長崎市長・田上富久さんによるエッセイです。
第12回 初めての委託
自前編集の限界
二度目の広報担当で、一度目と大きく違ったことがもう一つあります。編集の委託がかなり一般的になっていたことです。
長崎市の広報は、“自前編集”を基本にしていたので、グラフ誌や市勢要覧など印刷物は全部自分たちでつくっていました。一度目の広報課の最後の年には市制百周年記念誌などの“大作”も自作しました。広報紙などの通常の仕事をしながらの編集なので、残業続きでとても大変でしたが、みんなで力を合わせてつくり上げるのはとても楽しい経験でした。
当時の係長は画家であり版画家でもあったので、センスは抜群。百周年記念誌のレイアウトは全部係長がやってくれました。でも、同じことがいつまでも広報係でできるかといえば、自信はありませんでした。
それから8年がたって二度目の広報担当になってみると、県ではすでに広報紙の編集委託を始めていました。手に取ってみると、なかなかいい感じです。「うちでもそろそろ委託を考える時期かもしれない」と思うようになりました。
とはいっても、当時の広報課に印刷物を委託した経験はありません。委託するということはどういうことなのか、あらためて考えてみるところからのスタートでした。
委託って何?
実は8年間にいくつかの職場を体験したおかげで、私の中で委託について一つの疑問が生まれていました。
「もっといい委託の仕方があるんじゃないかな…」
それは委託することで、“業者扱い”する場面を何度も見聞きしたからです。
自前主義を貫いていた一度目の広報担当時代、自前でなかったのが印刷と写真の現像でした。その印刷会社で写真店の人に対して、広報課の先輩たちは決して“業者扱い”をしませんでした。いつも自分たちの仕事をサポートしてくれる専門家としてリスペクトしていたのです。
そういう雰囲気の中で育った私にとって、“業者扱い”はとても違和感がありました。立場上お金と決定権を持っているかもしれませんが、それは役割の違いに過ぎません。それを上下関係のように勘違いしてしまっているのではないか。なにより“業者扱い”がいい成果を生むことにつながるとは思えませんでした。
とはいえ、委託の本質がどんなものか、きちんと説明できるほどの知識も経験値もありません。自分自身が「作業を外出しすること」というくらいの単純なイメージしか持っていませんでした。
広報担当者って何のプロ?
実はもう一つ、委託について考える中でぶつかった基本的な疑問がありました。
委託と自前では作業がまったく違います。委託すれば、原稿を書く作業も、写真を撮る作業も、その道のプロがやってくれます。
「じゃあ、広報の仕事って何?」
私だって広報の仕事で給料をもらっている以上、プロのはずです。でも考えてみると、文章や見出しづくりはプロのコピーライターほどじゃないし、写真はプロのフォトグラファーにはかなわない。レイアウトなんかプロのデザイナーの足元にも及ばない。
「いったい私は何のプロなんだろう?」
一度目の広報担当時代にずっと自前編集が仕事だと思ってきた私は、委託を真剣に考え始めたおかげで、そんな“そもそも論”にまで立ち戻ることになりました。
こんなふうに書くと頭をかかえて悩んでいるように誤解されるかもしれませんが、実はそんなことはなくて、このころはとてもワクワクしていました。その道のプロたちと一緒に何かをつくり上げるのは、考えただけでもおもしろそうだったからです。
でもそのためには、ぶつかった二つの疑問を乗り越える必要がありました。
執筆者紹介
田上 富久(たうえ とみひさ)
1956年長崎県岐宿町(現・五島市)生まれ。80年長崎市役所入庁。26年7か月の職員時代のうち13年6か月が広報担当。2007年4月長崎市長就任。23年4月まで4期16年務め、その間、長崎県市長会会長、九州市長会会長のほか、被爆都市の市長として、日本非核宣言自治体協議会会長、平和首長会議副会長などを務める。好きな言葉は「一隅を照らす」「人間万事塞翁が馬」。現在は、長崎地域力研究所代表などを務める。