
連載コラム
広報って何? 悩める広報担当者の右往左往
執筆 : 田上富久(前長崎市長)
公開日 : 2025年7月16日
職員時代に13年6か月にわたって広報を担当。その後16年に及ぶ市長在任中も広報の大切さを実感してきた前長崎市長・田上富久さんによるエッセイです。
第15回 プロデューサー
偉大なる下働き
「外部のメンバーと一緒にチームをつくって、チーム全員で目指す結果を出すこと」という委託のイメージが出来上がると、やるべきことが自然に見えてきました。
まず、担当者である自分の立場がはっきりしました。「私はプロデューサーだ」と思ったのです。
実はプロデューサーについては、一つ思い出す出来事がありました。
ある時、テレビドラマのプロデューサーが広報課に訪ねてきました。彼はそのドラマのロケ地である長崎に来て、いろいろな関係者に挨拶し、協力をお願いして回っていたのです。私が好奇心いっぱいに「プロデューサーってどんな仕事をするんですか?」と聞いてみると、「いやいや、下働きみたいなもんですよ」と笑いながら答えてくれました。
もちろん、それだけで逃がすようなことはしません。さらに突っ込んでいろいろ聞いてみると、ドラマの企画に始まり、脚本家や監督を決め、出演者と交渉し、経費の調達や苦情対応まで実にさまざまなことに関わりながら、ドラマづくりの全体をみていることが分かりました。それ相応の年齢であることからみても、大事な役目であるのは間違いありません(後で調べてみると、とても実績のあるプロデューサーでした)。
たしかに「下働きみたいなもの」と言いたくなるほど陰の仕事が多い役回りのようですが、この役回りをする人がいないと、チーム全体がうまくいかないことは明らかです。「地味だけどすごく大事な仕事だな」と思いました。何よりも0から1を生み出す仕事です。その「1」、つまり「やりたいこと」を、最初から最後まで関わりながら実現していくのはとてもやりがいがありそうです。脚本家、監督、カメラマン、俳優さん…と、周りには才能を持つ人たちが大勢いるでしょう。おそらく目立つのはそういう人たちなのですが、その才能を引き出しながらドラマをカタチにしていく役目。最初から最後まで全体をみる唯一の人。それがプロデューサーなんだな、と思いました。
そのプロデューサー像は、まさに今、私が委託でやろうとしている役割とピッタリ重なりました。私は言い出しっぺであり、チームの設立者であり、リーダーであり、委託する仕事全体の責任者だからです。
「そうか…。委託するということは、自分がプロデューサーになるということなんだ!」
これはとても大きな気づきでした。
行政職員とプロデューサー
その後、何度もプロデューサー役を務めましたが、市長を退任する時まで「プロデューサーとしての行政職員」は、私の中で大きなテーマであり続けました。時代が進むにしたがって、行政職員がプロデューサーの役目を果たすことが増えていったからです。
一度目の広報課が自前編集を旨としていたように、以前は“自前主義”“自己完結型”が行政の一般的なスタイルでした。その後、市民との協働スタイルが増え、指定管理やPFIをはじめとする新しい制度ができ、近年は官民共創が盛んに叫ばれています。大きな流れでいえば、「公共のことは行政が」という時代から「公共のことはいい方法でやれる主体が」の時代になってきているということです。
私が市長を務めた2007年から2023年までの16年間だけでも、企業、団体、大学、NPOなどさまざまな主体が、地域の課題解決に積極的に関わるようになってきて、就任当時とはまったく違う様相を呈するようになりました。その中で行政職員がプロデューサー役やコーディネーター役を務めることが確実に増えてきています。
そういう時代の変化が訪れようとする時代に、初めての委託からたくさんのことを学べたのはとても幸運でした。現役の自治体職員の皆さんのヒントになることもきっとあると思うので、もう少しこの時の体験から学んだことの話を続けてみましょう。
執筆者紹介
田上 富久(たうえ とみひさ)
1956年長崎県岐宿町(現・五島市)生まれ。80年長崎市役所入庁。26年7か月の職員時代のうち13年6か月が広報担当。2007年4月長崎市長就任。23年4月まで4期16年務め、その間、長崎県市長会会長、九州市長会会長のほか、被爆都市の市長として、日本非核宣言自治体協議会会長、平和首長会議副会長などを務める。好きな言葉は「一隅を照らす」「人間万事塞翁が馬」。現在は、長崎地域力研究所代表などを務める。