
連載コラム
執筆 : 田上富久(前長崎市長)
公開日 : 2025年8月20日
職員時代に13年6か月にわたって広報を担当。その後16年に及ぶ市長在任中も広報の大切さを実感してきた前長崎市長・田上富久さんによるエッセイです。
第20回 のびしろ発見!
リベンジのチャンス!
一度目の広報課で「広報でまちづくりに貢献したい!」という思いが空回りしてしまい、何もできなかった苦い思い出については、このコラムの最初のころ(第5回)にお話しました。
実はその体験以来、まちづくりへの思いは、心の中でずっとくすぶり続けていました。
「広報でもっとまちづくりに貢献できないかな…」
その思いを抱えたまま、私は8年半いた広報課を一度出ることになりました。心の奥に少し宿題を残したままの異動でした。
でも、人間万事塞翁が馬! 異動先の都市計画や観光の仕事を通して、もっと直接にまちづくりに関わることができました。まちづくりの現場で頑張っている多くの市民とも出会うことができました。実はその中で、気づいたことがありました。まちが元気になるにはまちづくりに当事者意識を持つ市民がもっともっと必要だ、ということです。
8年間の寄り道を経て、二度目の広報課の辞令をもらったのは、そんな時でした。
広報が貢献できる道
まちづくりの当事者が増えるには、まちづくりに興味をもつ人が増えないといけない。そして興味を持つためには、もっとまちの魅力を知ってもらわないといけない。そのころ、そんなことを、よく仲間たちと話していました。
長崎は歴史のまち。おもしろいエピソードがいっぱい埋もれています。いいえ、歴史のまちではなくても、まちの中には知らないことや気づかないことがいっぱいあります。町名一つとっても、なぜその名前になったのか知らないし、古い碑をだれが何のためにいつごろ建てたのか知りません。名物がどうやって生まれ、いつごろから名物になったのか。毎日利用している路面電車はどんな人たちが支えているのか。知らないことだらけです。
「まちづくりの思いが芽生えるスタートは“知ること”なのかも…。だとしたら、それは広報の得意分野。広報はもっと貢献できる!」
“のびしろ発見!”です。
お役所らしくないイメージで
当時、ちょっと違った観点からまちをおもしろがる「路上観察学」がひそかに人気になっていて、私も隠れファンでした。昇っても壁しかない階段のような役に立たない構造物を「トマソン」と名付けたり、おもしろい看板や張り紙を見つけたりする、ちょっとマニアっぽい活動です。でも、まちには気づきにくいおもしろさがあることを教えてくれる、とてもおもしろい活動でした。
「路上観察学そのものは万人受けしないかもしれないけれど、この“遊び心”はまちに興味を持ってもらうには必須だな」
そう思いました。おもしろさを伝えるには、生真面目でお役所っぽいイメージではダメです。
ちょうど年2回発行のグラフ誌がマンネリ化してきた時期だったので、これを全面リニューアルして、まちのおもしろさを発見する遊び心のある冊子にすることにしました。
担当は、広報係にきてまもないYさん。20代の元気な女性です。Yさんと二人で企画を練り、冊子のタイトルを『NAGASAKIさるく』に決めました。長崎弁で、まちをぶらぶら歩くことを「さるく」というので、まちのおもしろさを歩きながら発見していくこの冊子にはピッタリでした。名付け親はYさんです。
編集を委託した外部スタッフとYさんの頑張りのおかげで、創刊号はとても斬新でいい感じに仕上がりました。
せっかくいいのができても、目にふれないと読んでもらえないので、市内の本屋を回って店頭に置いてもらうことにしました。本屋の利益も必要なので、冊子も150円と有料にしました。前例のないことだらけでした。
こうして自信を持って世に送り出した『NAGASAKIさるく』創刊号でしたが、出してみると賛否両論の嵐にさらされることになりました。
執筆者紹介
田上 富久(たうえ とみひさ)
1956年長崎県岐宿町(現・五島市)生まれ。80年長崎市役所入庁。26年7か月の職員時代のうち13年6か月が広報担当。2007年4月長崎市長就任。23年4月まで4期16年務め、その間、長崎県市長会会長、九州市長会会長のほか、被爆都市の市長として、日本非核宣言自治体協議会会長、平和首長会議副会長などを務める。好きな言葉は「一隅を照らす」「人間万事塞翁が馬」。現在は、長崎地域力研究所代表などを務める。