
連載コラム
広報って何? 悩める広報担当者の右往左往
執筆 : 田上富久(前長崎市長)
公開日 : 2025年9月3日
職員時代に13年6か月にわたって広報を担当。その後16年に及ぶ市長在任中も広報の大切さを実感してきた前長崎市長・田上富久さんによるエッセイです。
第22回 思わぬ展開
「ナガジン」
まちのことを市民に伝え、関心を持ってもらう広報の大切さをますます確信するようになった私を神様がどこかで見ていたのか、その後、私は「長崎の魅力発信事業」担当という辞令をもらうことになりました。まさに青天の霹靂です。
しかも上司に聞いても、辞令を出した人事課や予算を付けた財政課に聞いても、事業名と予算があるだけで、だれも何をするか分からないという不思議な辞令でした。
でもとにかくリサーチして、企画して、具体的な事業を急いで組み立てなければいけません。シティプロモーションという言葉が、今のように一般的ではない時代。訳が分からないまま、またまた右往左往することになりました。
ただ、一つだけやりたいことがありました。「NAGASAKIさるく」の進化バージョンをつくることです。そもそも長崎の魅力を外に発信するのに、市民がその魅力に気づいていないようでは本末転倒。市民向けに魅力を知らせる広報もこの際強化しよう、というわけです。
まずつくったのがインターネット版「NAGASAKIさるく」。
といっても、内容は年2回発行の「NAGASAKIさるく」とはまったく重複せず、隔月発行のオリジナル版です。当時普及し始めたばかりのインターネットを使って、長崎のいろいろな楽しみ方を、あるときは真面目に、あるときは遊び心で伝えながら、データを蓄積していこうという実験的な試みでした。サイト名は「ナガジン」。「長崎人」と「マガジン」をかけただけですが、結構ピッタリの言葉だったので密かに気に入っていました。
毎回一つのテーマにスポットを当てて、ライターが実際に取材して分かりやすく教えてくれる「発見! 長崎の歩き方」や、長崎弁を極めたい人のための「ジゲモンマスターへの道」は、私の自慢のコーナーでした。今も「ナガジン」で検索すれば読むことができます。
ただ、結果をみると、私が期待したほど「ナガジン」を見る人の数は増えませんでした。私自身がインターネットという新しいメディアのことをあまり理解できていないことが原因だったと思います。インターネット活用の試行錯誤はその後も続くことになりました。
「長崎さるこーで」
もう一つのチャレンジは「NAGASAKIさるく」のイベント化です。
まちを知り、好きになるのがゴールだとすれば、印刷物やテレビばかりじゃなくイベントもメディアになりうるのではないか? と考えたのです。イベント名は「NAGASAKIさるこーで」。「さるこーで」は「ぶらぶら歩きましょう」という意味の長崎弁です。
1回目は、路上観察学の大家、赤瀬川源平さんをお呼びして、一緒にまちを歩いてもらい、まち歩きのおもしろさについて語ってもらう企画。2回目は唐寺(中国系のお寺)、3回目は旧外国人居留地が探検場所でした。参加者にはとても好評でしたが、参加者数が限られるので、実験的な意味合いのほうが強かったと思います。1回目は私が担当し、2回目からは引き継いだ後輩が実施してくれました。
ところが、瓢箪から駒。このあと事態は思わぬ展開をみせることになりました。
長崎さるく博’06
「長崎の魅力発信事業」を1年担当した後、私は観光部に移動しました。異動の際に市長から与えられた次のミッションは「5年後にいくつかの大型施設が市内に完成するのを機に、大きなイベントをするのでその企画をすること」というものでした。
結論からいえば、そのイベントは「日本ではじめてのまち歩き博覧会 長崎さるく博’06」として2006年に開催され、大成功しました。
実は私は、このイベントには企画段階しか関わっていません。実行段階を担当したメンバーが素晴らしく、さまざまな困難を越えてイベントを成功させてくれたのです。何よりも感動したのは、プロデューサーとして100人近く、ガイドとして300人以上の市民が参加し、誇りを持って自分たちのまちを案内してくれたことでした。それはまさに「NAGASAKIさるく」が目指してきた姿だったからです。
この時参加した市民ガイドさんがこんな短歌をつくってくれました。
遠くから来る朋あり長崎を
自慢たらたら歩かせており
執筆者紹介
田上 富久(たうえ とみひさ)
1956年長崎県岐宿町(現・五島市)生まれ。80年長崎市役所入庁。26年7か月の職員時代のうち13年6か月が広報担当。2007年4月長崎市長就任。23年4月まで4期16年務め、その間、長崎県市長会会長、九州市長会会長のほか、被爆都市の市長として、日本非核宣言自治体協議会会長、平和首長会議副会長などを務める。好きな言葉は「一隅を照らす」「人間万事塞翁が馬」。現在は、長崎地域力研究所代表などを務める。