連載コラム
広報って何? 悩める広報担当者の右往左往
執筆 : 田上富久(前長崎市長)
公開日 : 2026年2月26日
職員時代に13年6か月にわたって広報を担当。その後16年に及ぶ市長在任中も広報の大切さを実感してきた前長崎市長・田上富久さんによるエッセイです。
第31回 ダイヤモンド
長い夏の道
学生時代にハマった吉田松陰は30歳の生涯を終えるにあたり、人生は長さに関わらずそれぞれに四季があると言いました。それにならって考えてみると、自分が今、秋の入り口にいるように感じます。
生まれてから20歳頃までは周りの人たちに種を植えてもらいながら過ごした春。20歳の頃に自分の中にもエンジンがあることに気づいて、その出力の弱いエンジンを改良しながら前に前にと走り続けた夏は、市長を退任するまで45年ほど続きました。
夏の間に走った道を振り返ると、いくつも関門がありました。でも、関門をクリアすればポイントや新しいアイテムをもらえるゲームのように、関門の向こうにはご褒美の“経験知”が落ちていました。夏の間は、それを一つずつポケットに入れながら、まるで冒険ゲームのように過ごしてきた気がします。
最初は道があるのかさえ分からずに、目の前が真っ暗になったのに(第2回「真似は王道」)、右往左往しながら目の前の関門クリアに挑戦している間に、ポケットの中に「ダイヤモンド」がいくつも貯まっていました。
編集力と文章力
全然気づかないうちにポケットに入っていたダイヤモンドの一つは「編集力」です。レイアウトのように編集に直接必要な技術も役に立ちましたが、いろいろな要素をグループ分けしたり、関係ないようにみえる出来事から共通点を見いだしたり、逆に一つのキーワードを起点に関連するものを抽出してストーリーをつくったりする力がいつの間にかついていました。これは「構想力」「構成力」や広義の「デザイン力」につながります。
「文章力」もそうです。今も決してうまくはありませんが、原稿用紙の前で脂汗を流していた頃に比べると、自分なりの文章のリズムが身についたと思います。これは挨拶をする時にも役立ってくれました。
「編集力」も「文章力」も、最初は苦しみながらも数をこなす中で身についたものですが、広報担当を離れた後、随分助けてくれました。
変身力と出会い
数あるダイヤモンドの中で、その後一番役に立ったのは「変身力」かもしれません。広報の仕事は、行政の情報や考え方をできるだけ分かりやすく市民に伝える一方で、組織の中に対して「市民はここに疑問を持っている」「このタイミングで情報を出さないと市民が困る」など、市民の声や感覚を伝えて、担当課から情報を引き出すのも役割です。行政と市民の真ん中にいて、時には市民のほうを向き、時には組織の中に向けて、その声を伝えながらコミュニケーションがうまくいくようにするポジションなのです。一人で原稿を書く時も、頭の中では何度も書き手から読み手に変身して「この書き方で分かる?」と自分に問いかけます。この往復する力が「変身力」です。
市長になった後、職員に「“市民のために”よりも“市民の立場で”を大事に」「市役所の感覚になじみすぎないように(自分の中の市民感覚を忘れないように)」と話したのは、このダイヤモンドがあったからです。
もう一つ外せないダイヤモンドは、多くの人との「出会い」です。取材先の市民の方々からは多くのことを教えてもらいました。市役所の内部もあちこち出入りするうちに顔を覚えてもらい、仕事に対する姿勢を学びました。人見知りの私にとっては、とてもありがたいダイヤモンドでした。ほかにも、ここには書ききれないほどのたくさんのダイヤモンドが、広報の道には落ちていました。
欲張りのススメ
広報でダイヤモンドをゲットすることを覚えた私は、異動するたびに「ここでゲットできるものはなんでもゲットしよう!」と欲張りになりました。そうやってポケットの中に入ったダイヤモンドは、いつも未来の自分を助けてくれました。
現役広報担当者の皆さん、いつまでもそこにいるわけではありません。そこにいるうちにゲットできるものはできるだけポケットに入れておくことをおススメします。もちろん、何かにチャレンジすると、成功しても失敗しても獲得ポイントはぐんと高くなるようになっています。
執筆者紹介
田上 富久(たうえ とみひさ)
1956年長崎県岐宿町(現・五島市)生まれ。80年長崎市役所入庁。26年7か月の職員時代のうち13年6か月が広報担当。2007年4月長崎市長就任。23年4月まで4期16年務め、その間、長崎県市長会会長、九州市長会会長のほか、被爆都市の市長として、日本非核宣言自治体協議会会長、平和首長会議副会長などを務める。好きな言葉は「一隅を照らす」「人間万事塞翁が馬」。現在は、長崎地域力研究所代表などを務める。